こんにちは。心理カウンセラーの角田元輝です。
私がこれまでどんな人生を送ってきたのか。そしてなぜ、心理カウンセラーになったのか。その経緯をお話ししていきたいと思います。
今でこそ、写真のように心の底から笑える日々を送っていますが、実はその過去は暗く、灰色に染まっていました。
でももしかしすると、周りから見た過去の私は「明るい」「楽しそう」こんな印象だったかもしれません。屈託のない笑顔で毎日を楽しんでいるように見えたかもしれません。見る人が見れば「なんだよ、恵まれているじゃん」「悩みなんてなさそうじゃん。」そう言われていたかもしれません。でも当の私は「心から楽しい」「心から幸せ」と思えることはほとんどありませんでした。生きている意味がわからなかったんです。
「生きるのはツライ」「他人は信用できない」「社会は冷たくて恐ろしい」「もう終わらせたい」
いつも心の中はこんな感じ。でも「なにがツライのか」「なにが苦しいのか」が全く分からない。自分がなにを望んでいるのかも分からない。まるで自分自身を生きていないような、どこかへフワフワと消えてしまいそうな感覚。外側と内側が乖離しすぎて、自分を見失っていました。では一体なぜ、私の心はここまで乖離をしてしまったのか。次章でその理由をお話ししていこうと思います。
自分が消えてしまった。
母は私が小さい頃からとても厳しく躾をしました。
「あれはダメ!」「それもダメ!」
日常生活から学業、スポーツまで、事細かく口出しをされていました。意向から逸れることは許されない。中学生頃からは、それまで無関心だった父もテコ入れを始めました。毎日厳しい剣道の特訓。好きでもないのに軽い気持ちで始めてしまったことを後悔。とにかく辞めたかったんです。でも強制的に練習量は増えるので、メキメキと上達。しかし自分が望んだことではなかったので、全然嬉しくありませんでした。試合でもわざと負けて早く帰りたいとさえ思っていました。
このように自分の意思は殺して、親に従うのが当たり前な生活。それを繰り返すうちに、やがて自分の本音は見えなくなっていきました。ありのままの私も消え去りました。ここまでいくと、自分の行動、考え、目標、進路、振る舞い、生き方全てが「間違っているのでは?」という感覚になります。そして、なにをするにも「恐れ」を抱くようになります。
「自分の本音に価値はない。」「自分は自分でいてはいけない。」本気でそう思っていました。私にとって「生きる」とは、「本音を隠して周囲に適合する」こと。だからこそ「他の何者か」を演じないといけない。このようにして溜まった我慢が、強烈な乖離を引き起こしていたのです。
馴染めない大学生活
大学生の時は孤独でした。人と関わることに前向きになれませんでした。コロナ禍ということもあり、家で過ごすことが増えたことも相まり、心と向き合う時間が増えて生きづらさを直視する時間が多くなりました。
どうして人生はこんなに苦しいのか…?この先、生きていく意味なんてあるのか…?
考えるほど落ち込んでく負のループ。孤独でより歪んでいく認識。とても苦しい時間でした。いまさら大学にいっても周りの目が気になるし。「社交的じゃない自分は、きっと周りから好かれてない。」そんな思い込みが拡大していく。
この頃私は、近所の心療内科に通うようになりました。実は、このとき人生では2度目。1度目は高校生の頃に通っていました。当時は何事もないフリをしていましたが心は限界だったんです。心療内科では、原因不明の生きづらさや、ずっと○にたかったことを打ち明けました。しかし勇気を出したことへの医者からの返答は、「まあ気持ちはわかるけど、頑張るしかないよ。世の中って苦しいものだし(笑)」 と鼻で笑われたような回答のみ。「ああそうか。社会は学生の悩みなんてまともには聞いてくれないよな。自分が甘かった。」世の中に対するイメージより歪んでいきました。「社会は冷たい場所だ。自分はきっと生きていけない。」そんな思いから、大学へ行くことや社会と繋がることが心底イヤになっていきました。
そして、耐えきれなかった私は退学します。とにかく目の前の怖さから逃げたかったのです。大学を辞めたことで、一旦は社会と距離を置けてホッとしました。しかしすぐに現実的な問題が見えてきました。「自分はお金も学歴も資格も、何も持ってない。これからどうすれば。」初めから分かりきっていたことでしたが、いざ直面すると路頭に迷った気分です。知り合いには「前向きな選択だ」と強がったフリをしましたが、内心は先が見えなくて不安でした。今までレールに乗って生きてきた自分が、いきなり社会に出て、やっていけるとは思えない。その間にも口座の残高はどんどん減っていきます。それに伴って不安も増していきます。
仕方ないのでとりあえず正社員の求人を探しました。その中から自分でも入れそうな会社を数社ピックアップ。本当は面接に行くのもイヤでしたが、とりあえず1社だけ受けにいきました。そして、結果は意外にもあっさり合格。会社が人手不足かつ、自分が若かったこともあり歓迎してもらえました。想像していた「社会の冷たさ」がそこにはなく、いっときの不安から解放されて、舞いあがっていた私。しかし喜んだのも束の間。ここからが本当の悲劇の始まりだったのです。
入社半年で心がボロボロに
ノドから手が出るほどほしかった安定という身分。大学の頃の暗さがウソのように張り切っていました。しかし出勤初日から、社会の厳しさを思い知らされます。朝からギュウギュウの満員電車での押しあい。パーソナルスペースなんてあったものではありません。繊細な私は、その時点で体力と気力を消耗してしまいます。駅のホームで、先を急ぐ人たちに押しのけられてモヤモヤすることも。ハイスピードで流れる世界に食らいつく毎日。しかし会社では、イライラした社長の顔色を気にして、逆撫でするようなミスをしてしまう。徹底的に怒鳴られて、落ち込んで帰宅することもありました。「自分にはこんな時に相談できる仲間もいない。」都会の中で1人ぼっちのような孤独感に押しつぶされそうでした。会社には居場所がなく、プライベートでも孤独。思えば、昔から似たようなことで悩んでた気もする。これ以上1人で考えても苦しい現状が変わるとは思えないし。「もういっそのこと○んでしまおうか。」少しの間消えていた希死念慮がまた復活。「このままでは本当に良くない。どうにかしないと。」最後の希望を託してカウンセリングに申し込みました。
苦しみから救ってくれたカウンセラー
とにかく誰かに話を聞いてほしかった。助けてほしかった。数日、悩んだ末、カウンセリングに申し込みました。初めてのセッション。そこで感じたカウンセラーの先生の暖かさを今でも忘れられません。カウンセラーはありのままの私を全て肯定してくれた。現実の苦しさや、今まで誰にも言えなかった経験をすべて受け止めてくれた。「この人なら私の話をわかってくれる。」受け入れてもらえた安心感から大きく心が開かれて、溜まった我慢が少しづつ解放されていきました。「私はもう、1人じゃないんだ。」そこから何回も対話を繰り返していくうちに、自分の中のこういった価値観がゆるまっていきました。
男だから弱音を吐いてはいけない。
周りの人には明るく接しなければならない。
嫌なことから逃げてはいけない。
周りに合わせて、普通に振る舞わないといけない。
こういった「〜ねば・ならない思考」手放せたことで、だんだんと自分を受け入れられるようになっていきました。
人間なんだから弱音を吐くだってあるよ。
ずっと明るい人なんていない。暗い時もあるのが当然。
やりたいことやるのは当たり前だよ。
世間の価値基準を気にするより自分の望みに正直でいよう。
カウンセリングを通して、自分の内面がここまで変化し、生きづらさが緩和されていったのはとても驚きました。
自分とつながる体験
私は、いつのまにか自分の本音に素直に行動できるようになりました。我慢ばかりだった過去から、やりたいことをやる人生に変化していったのです。本音に従うことの「恐れ」が消えて、その結果、いきなり宮古島に飛んで1年近く暮らしてみたり、「やってみたいけど自分にはムリ!」と思っていたスポーツに挑戦して、どハマりしたり。心から共感して、信頼し合える仲間と出会えたり。人を信用していなかった私が、逆に人の暖かさに救われたり。地位や名声は欲しくない、それよりも人の為に生きていこうと確信したり。本音に従って生きていくうちに、不思議と未来への道がひらけていったんです。以前の私とは比べ物にならないほど、自分との繋がりが増して、人生の輝きが増していきました。
ただ、変化が速かった分、急にどっと疲れが出ることや、恐怖で前に進めなくなることもありました。無気力になってなにもしたくない日もありました。しかしその度に、カウンセラーの寄り添いが力になりました。対話を通して、また心にそっと火が灯り、前に進む勇気が復活していきました。カウンセリングという「帰る場所」があったからこそ、自分の心を冷静に見つめることができましたし、希望を失わなかったんです。
やがて2人3脚で歩んできた道のりも終わりを迎え、私は生きづらさを克服して自分らしい生き方を取り戻することができました。自分の心と仲直りができたことで、毎日が充実して、日常の小さなことに幸せを感じて生きられるようになりました。それと同時に、過去に親へ感じた憎しみや、どうしても許せない社長への怒りもふわっと消えていきました。そして、やわらかな愛情に変わっていったのです。
親も人間だから完璧じゃないよな。当時は必死だっただけで、ちゃんと私を愛してくれていたんだな。
社長が怒鳴ったのも、裏に想像できないような大変さがあったからかも。決して悪気があったわけではないんだろうな。
今では両親との関係性もよくなり、深く信頼し合える仲になりました。これもカウンセリングの効果。自分自身が満たされていくことで他者への目線がやわらかくなっていったのです。自分に対して向いた思いやりの目線が、自然と他者へも注がれるようになっていきました。
あなたの本音に素直な人生へ
しかし、いくら「自分らしく生きる」といっても、やみくもにやっていきなり成果は出すのは難しいと思います。急に行動して、怖くて動けなくなったり。逆に疲れすぎて無気力になったり。どうしても1人でやるには限界があると思います。そこで私は、カウンセラーとしてあなたのフタをされた本音を呼び起こし、生きづらさを力に変えるお手伝いをしたいと思っています。これまでたくさんの我慢をしてこられた方が、自分らしく幸せな人生を取り戻していく。人生に希望を見出せなかった方が、目の輝きを取りもどして未来に前進していく。ご相談者の方のこうした変化が私にとって何よりの喜びなのです。次はあなたが、私と一緒に生きづらさを克服して、あなたらしい人生を取り戻しにいきませんか?力になりますよ。では、次はセッションであなたのお話を聞かせていただけるのを楽しみにしていますね。
長いプロフィールを読んでいただき、ありがとうございました。
心理カウンセラー 角田 元輝